家督相続から法定相続が招いた家族崩壊について。
交通網と情報網が発達し、経済構造が地域農業から都市集中型に変わりました。その結果、家督相続時代の家族は崩壊し、核家族化が進みました。
地方の都市や村落では人口減少が進み、シルバーマークの車ばかりが目立つようになりました。耕作放棄田と人が住むことをやめた家が、あちこちに放棄され社会問題にまでなっています。
確かに生活は便利になり、居ながらにして世界中の情報が手に入ります。よほどの離島か山間部でもない限り流通網が発達していますから、欲しいものは手に入れることができます。
しかし家族はバラバラに住み、盆暮れに顔を合わせる程度になります。親は子の心配をし、子は親の老後生活を憂いつつ、自分たちの生活を優先するしかないので、できることは限られます。
この日本社会の有り様は、正しい選択だったのでしょうか。老いて気が付く社会構造への疑念は、どんどんふくらんできます。政治では地方創生と言われて久しくなりますが、地方は疲弊しさびれるばかりが現実のようです。
本ブログとしては、保険から相続問題へ進んできました。そして家族へとつながっていくと、家族崩壊の深刻さに気が付きます。
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◆ 家督相続時代の家族。
親に相続の話をするなど家督相続に時代には、あまりなかったのではないかと思います。家がありそれを継ぐものと、それ以外のものに分かれていた時代ですから、相続の在り方も決まっていたようなものです。
他家に嫁に出した娘には、嫁入り道具と持参金一式で実質的な相続放棄です。次男は分けるお金があれば、近所の敷地に家を建て新屋として村入りです。それ以外は自分の器量で独立して家を構えることができれば運がいい方で、どこかの家に養子に入ることで糊口をしのぎます。
結局、地域の共同体としての村組織に力がありました。その枠をはみ出ては生きていくことが、難しい時代だったと言えるのではないかと思います。
それはその時代の長所であり、短所でもありました。少なくとも家族は一つ屋根の下に暮らすか、近所に住まいしています。老親は孫の手を引きながら散歩しています。若者の自由は制限されていましたが、親が老いることに心配のない社会であったと思います。
◆ 法定相続時代の家族。
昭和22年に民法で家督相続が廃止され、法定相続制度が導入されました。これにより配偶者や長男以外の子に相続権が与えられました。家という概念が廃れ、個人の権利が伸展した結果、年齢や性別を問わず均等に財産を分ける「諸子均分相続」が始まりました。
田舎ではそうはいっても、稲作農業が主体でしたから田を分けると家としての生計がなりたたなくなります。そのため長子相続を基本とした分け方が残っていました。「たわけもの」愚か者の意味をもつこの言葉は田を分けることは、愚かであることを意味しています。
・法定相続がもたらしたもの。
法定相続は、確かに公平な財産の分け方のように思います。ところがこの法定相続は、家族と言う家の姿の崩壊を促進させる一因になったのではないかと思います。
モータリゼーションが進化した時代では、日本全体が一つの枠組みとなりました。高収入を得るためには学歴社会で結果を残し、有名大学を卒業し優良企業に入社することが成功への近道でした。
田舎に残っていても、社会で飛躍することはできないでしょう。若者は都会へ出て、一旗揚げることを目標にします。そして家を継ぐという概念や責任感が薄れました。長男といえども親の代からの財産を引き継ぐことができないのですから、仕方がないかもしれません。
権利が分散すると、昔からの本家を維持することすら難しくなります。こういった事例は、相続の現場で多数見られます。田舎育ちの方には、いまでも長男の責任という感覚は残っています。
■相続人が行方不明では大弱り、相続と生命保険の打つ手を紹介。
◆ 家族崩壊時代の相続。
家族が最小単位に分散し、日常のコミュニケーションが弱くなると相続での意思疎通も難しくなります。お互いを思いやる心がなくなり、権利の主張が幅を利かせてきます。
家族崩壊時代の相続が争いになりやすいのは、この辺に原因があるのかもしれません。マンションに住んでいると、お隣のご主人の顔も知りません。15年住んでいても、かかわる機会がないとそんなものです。ガレージであいさつもしないほど、隣人のことを知らないのです。家族崩壊だけでなく地域社会のコミュニティも、崩壊の危機に瀕しているといえると思います。
一人一人は誰もフレンドリーでよい人です。でも触れ合う機会がないと、知らない他人なのです。近所の人でも、知らない人は他人です。他人には妙に冷たい態度をとるのが日本人の特性です。
◆ 親の心配は相続よりお金と孤独。
親の心配ごとは、相続税の節税とは限りません。よく考えてみれば、相続税を払うのは相続人です。被相続人として、親が相続税を払うことはないのです。親が相続の話を本気で聞けない理由が、この辺にあるように思います。
老いていく身の心配事は老後のお金、経済力と孤独なのです。どうしても若いときのように体は無理がきかなくなり、あちこちに人には言えない不具合が生じます。生命保険の告知でひっかかるような病気も経験します。
子供たちが独立して家庭を持つと、親二人暮らしになりますが、いずれどちらかが介護され先立ちます。老いての一人暮らしは、やはり孤独になります。そうなったときに必要になるものはまとまったお金です。お金がなければ、老人ホームにも介護施設にもはいれません。
老いてゆく親にとり心配事の優先順位から言えば、お金と孤独、相続のことはそのあとのことです。
◆ 法定相続が招いた家族崩壊、まとめ。
子の将来を思い一生懸命勉学の支援をし、塾に通わせ、受験に一喜一憂してきた親がいます。有名大学に合格することが、子と自分の将来に大きく花開くと信じていた親御さんは多いと思います。
ところが有名大学に合格し、一流企業に就職すると我が子は自分の手元から離れていきます。ついでに息子の嫁も孫も、年に数度しか会えなくなります。
我が子の将来を思い骨身を削って支えてきたことが、果たしてよかったのかどうか、気が付いたときには遅いという現実があります。
勉強なんかできなくてもよい、一流企業になんか就職しなくてもよい。近くの工場で働いて、近くの嫁をもらってくれたら毎日孫と散歩できたものを。親とは悲しいものですね。
法定相続がすべての原因とは言いません。しかし法定相続は家と家族を崩壊させる一因には違いありません。政府が地方創生と銘打って様々な施策を進めるようになりました。
しかし、ただ老いて行く身には、手遅れと言う悲壮感が重くのしかかってくるようです。
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