相続税がかからないのに生前から争族です。
悲しい性(さが)ですがある程度の年齢になると親の遺産をあてにするようになります。
相続税がかかるような財産がなくても長年働いてくればそれはそれなりのものが誰しもあるはずです。サラリーマンが普通に勤めていれば宝くじでも当たらないとまとまったお金は手にできない訳ですからあてにするなと言う方が無理かも知れません。
一括千金を狙うなら株式投資をやるか保険金で受け取るか、どちらの選択も思い通りに行かないばかりか大損することさえあり得ます。
クリックできる目次
それに比べると遺産を相続するのは安全確実ですからね。
普通に暮らしていれば生前に遺産分割を督促するようなことにはならないのですが、誰しも目測を誤りお金に不自由する、あるいは資金繰りに切羽詰まることもあるのが人生です。
知り合いで定年退職後退職金を投じて貴金属の取引を始めた人がいましたが、その内年賀状が来なくなり、親が経営していた店舗まで売り払って自宅も処分して、結局酒の飲み過ぎで亡くなりました。奥様も葬式の折には若くして痴呆症のような状態で、これはまあ気の毒としか言いようのないところですが、現実の場面では背に腹は代えられないとなると金欲しやが生前の争族にまで発展します。
今や老後難民だの老後破産とう言葉が流行するほど老後の経済状態は厳しさを増し世知辛い世の中になっています。
もらえるモノは一刻も早くほしいと言うのも無理からぬところなのかもしれません。
争族は人間性がさらけ出されますからみっともないことは言うまでもないのですが、生前の争族はさらに見苦しい。
どうせ自分がもらうものだから相続が発生するよりも先にくれと言うわけです。
贈与になるからダメというと、ぢゃ貸してくれときます。返すつもりのない相続の先取りを要求します。他の兄弟が黙っているわけがありません。
こうなると高齢で弱り果てた親を前に生前の争族ドラマが始まります。
兄弟喧嘩も相続争いもせめて自分が死んでからにして欲しい、とは悲しい親心です。
それなりの年になるとそれなりの場数も踏んできますが、お金という魔物の前には自分というものの人間としてのまともさ、精神的安定性すら疑念を持たざるをえなくなります。