遺贈寄付がすすまない日本的理由。
遺贈や贈与、死因贈与については下記の記事に詳しく書きました。遺贈とは、遺言により人に遺言者の財産を無償で譲ることですが、遺贈されるのは人でも法人でもかまいません。
遺贈寄付とはだれもができる社会貢献です。相続税がかからない庶民でも遺贈寄付はできますから人生の最後に善行を施すことができます。
ところが遺贈寄付がなかなかすすまない深い理由があります。その中には日本という国民性によるところに根本原因があるということもありそうです。
■遺贈と贈与・相続人と受遺者の違い、ここを具体的にくわしく。
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◆ 遺言による遺贈寄付は相続税がかからない。
遺言による寄付を遺贈寄付と言いますが、法人には相続税が課税されませんから非課税で寄付ができます。もちろん贈与税もかかりませんから相続税を払うよりは寄付の方に意義があると考えることもできます。
相続税として税金を払い何に使われるかわからないよりは、寄付をすればかかるはずの相続税がかからないのですから、相続税の分も寄付できることになります。ただし公益法人でない株式会社などの普通法人では所得になりますから法人税がかかります。
遺贈寄付を受けたのが個人や法人格をもたないサークルなどの団体組織の場合は、しっかり相続税が課税されますから法人と個人でメリットが変わってきます。相続税のことを考えると一般社団法人や一般財団法人、NPO法人などに遺贈寄付した方が効果が高いと言えます。
◆ 保険は世界最高水準、寄付は世界最低水準、日本の不思議。
日本は保険大国と言われるほど保険の契約率が高い国なのですが、遺贈寄付に限らず寄付全体でみても世界では世界最低水準に近い個人寄付率なのです。
保険好きの寄付嫌いという日本人の姿が見えてきます。なぜ日本人は寄付が嫌いなのでしょうか。そこらへんに遺贈寄付が進まない理由が潜んでいるような気がします。
相続の話にかかわっていても遺言書で寄付をするという話はめったにありません。相続税がたくさんかかる資産家には、相続税の節税になるので氏神様に遺言書で寄進すればと申し上げても乗り気にはなられません。寄付するくらいなら後に残る妻や子に残してやりたいという気持ちのようです。寄付という言葉に先立つ本音の気持ちは「お金が惜しい」ということのようです。
◆ 遺贈寄付の被害者は相続人。
お金持ちほど寄付嫌いという傾向は確かにあるように思います。遺贈寄付は相続財産を相続権のある相続人以外におすそ分けする行為です。被相続人が遺言をすると遺言者となります。遺言者が遺言に寄付を書けば、その結果相続人の取り分は当然少なくなります。
遺産をあてにしている相続人にとれば遺贈寄付ほど意味がなく、面白くないことはありません。自分がもらうべき財産を、他人にタダでくれてやるわけですから納得できない気持ちもわかります。
遺贈寄付がかかれた自筆証書遺言を発見した相続人は何を考えるでしょうか。公正証書遺言で遺言執行者が指定してあれば、さすがに従うよりないでしょうが、相続人全員が遺産分割協議で合意すれば遺贈寄付を反故にする可能性がないとは言えません。遺言者だけでなく、相続人が遺贈寄付の障害となり得ることもありそうです。
◆ 遺贈寄付がすすまない日本的理由、まとめ。
ふるさと納税は寄付の一種ですが、寄付本来の社会貢献とか自尊感情や幸福感を高める効果とはズレがあります。少々不純ではありますが、寄付の目的が節税ということはあり得る動機です。
日本人が寄付嫌いな理由は、寄付の管理団体に対する不信感、経済的余裕のなさ、寄付の手がかりが少ないなどがあげられます。一番大きな要因は、日本人が根本的には個人主義的で寄付をすれば自分のお金が減るだけと考えていることです。寄付をするよりも貯蓄が大事であり、なにより現金を抱えているの安心感、という日本人の気質だと思います。老後の備えとして貯蓄するか投資するか寄付するかとなれば貯蓄を選択するのは日本人的な感覚だと思います。
また普通の寄付であれば、感謝の言葉やお礼状が届くかもしれませんが、遺贈寄付では遺言者にとれば死後の寄付になりますから、あの世までは感謝が届かないということはデメリットかもしれません。
hokenfpの場合で自問してみても、寄付しようという発想がありませんから少ない財産を遺贈寄付しようなどとは思いつきません。しかし、もう少し日本人も社会性のある国民性をはぐくむ必要がありそうです。
せめてウクライナ向けのクラウドファウンディングに協力するとか、ユネスコに寄付をして恵まれない子供たちの支援をするとか。ところが、憤慨したり同情したりするものの財布のひもは固い、うーんやはり日本人の気質のようです。