相続は公平、介護は不公平という矛盾。
理屈っぽくなりますが、それなりの年齢になると否が応でも介護や相続という問題が身に降りかかってきます。避けたり拒絶したりすることは反社会的行為として非難されそうです。相続や介護という人間にとって普遍的な課題を、一人の人間としてどう乗り越えればよいのか、経験を交えて考察しました。
今は介護するほうで、相続人と言う立場だとおもいますが、ほどなく介護される立場となりその先には被相続人としての意思表示をする責任が回ってきます。しかし相続が発生すれば、被相続人はその責任から一気に開放されます。どうもその日までは一人の人間として、今生の責め苦を負うように設計されているように思えてなりません。
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◆ 相続の公平さは民法の不条理。
不条理とは、事柄の筋道が立たないことを言います。かつての相続制度は家を守るためにありました。何を古いことを言い出すのかとお思いでしょうが、それはそれなりの社会制度として機能していました。
いまや個人の権利は最大限尊重されます。民主主義の恩恵と言えばいかにも正義に聞こえますが、世の中は一極集中化がすすみ、出生率が大幅に低下し人口減少時代となりました。地方は激しく疲弊し、家族が夫婦単位で離散しています。核家族化と言えば聞こえはよいかもしれませんが、その先にあるのは死にゆく個人、孤独死の現実です。
民法における相続の公平化が、すべての元凶などと言うつもりは毛頭ありません。ただ法定相続という財産の分配基準は、相続という場面では適切に機能しないことが往々にしてあります。法定相続は、権利という点では公平になりますが、財産分与という視点、被相続人の思い、介護に対する貢献度などを考え合わせると、公平とは何か考え直さざるを得ないことがあります。
相続という心情的に不確定なものを割り切ってしまう法定相続に対して、不条理を感じるのは相続人の立場の違いだけはないと思います。
◆ 介護が公平にできない理由。
相続には、是非は別にして法定相続という公平を前提とした基準が示されていますが、介護には公平と言えるような基準はありません。誰が介護するのか、介護される親の気持ちを含めて公平にはなり得ないのが介護です。
介護というのは、自分の時間を犠牲にして先の見えないトンネルでもがき苦しんでいるようなところがあります。頑張らない介護とか親の介護で悩まないとか言ってもそう簡単に割り切れるものではないことは経験すれば痛感します。
介護は本質的に不公平なもの、自分への試練として受け止めるしかないのです。決して悲観的に斜に構えて介護を見ているわけではありません。不公平を不公平として受け入れ、誰かを責めるのではなく前を向いて自分なりにできることをする、言うのは簡単ですがそうは簡単にいかない介護の難しさです。
◆ 民法改正で介護者は救われるか?
介護者は、いろんな人に回ってくる役回りです。子に限らず長男の嫁とか兄弟姉妹、甥姪や孫にもめぐってきます。相続的には取り分がない親族でも介護者になることはあります。介護者が相続財産目当てであったり金銭目的であったりということではなく、行きがかり上の責務のように介護を請け負います。そういう意味では介護とは最初から不公平にできています。しかし、その役回りを不公平だと言って投げ出すことができない拘束感が付きまといます。
民法改正で相続人でない介護者にも寄与分を金銭的に認める法律ができました。しかし介護する人にとっては、納得できる話ではなくて、金で済ませるつもりなら「お前が介護しろ!」と言いたくなるところです。
民法改正で介護者が救われる可能性は微々たるものです。介護される人のことを思い、一人の人間としの責務として介護しているわけですから、口先だけでろくに協力もしない親族にはとやかく言われたくないと言う思いは強いのではないかと思います。弁護士の口車に乗せられて相続人に寄与料を主張すれば、金のために介護をしたようなことになり、雇われヘルパー扱いされても腹が立つばかりです。
◆ 介護の後には、100%相続が待ち受け。
介護の辛いことは、一生懸命に介護しても元のように元気にはなってくれないといことです。それどころか日に日に衰弱し、介護の最後には見送る日が必ず来ます。すべての介護に共通することは、介護の後には別離と相続が確実にやってくると言うことです。
相続となると介護に貢献した人だけでなく口先だけの相続人、遠方を理由に電話すらかけてこない相続人がこぞって集まります。そして遺言書がなければ相続は法定相続を前提に遺産分割協議をすることになりそうです。そうなると相続人でない介護者は完全に蚊帳の外です。結局、相続の公平は介護の不公平を埋められないということに行きつきます。
◆ 相続は公平、介護は不公平という矛盾、まとめ。
介護する人の気持ちとして、金のために介護していると言われるほど腹立たしいことはないのです。民法改正を盾に特別寄与料を請求できたとしても、介護に費やした時間や労苦に見合うものが得られるとは限りません。
どこまでも相続は公平で介護は不公平にできています。介護人は相続でも介護でも報われないようになっています。
遺産分割協議で介護の寄与分を強硬に主張すれば、これは紛糾と泥沼化が避けられないところです。最後に納得をお金にしてしまうと、お互いに後味の悪い割り切れない思いが残るものです。
本サイトの趣旨は相続で保険活用をおススメするところにあります。介護者が相続人であれば、介護される方が判断力のある間に介護者を生命保険受取人に指定することです。生命保険の受取人であれば固有の財産とし他の相続人にとやかく言われる筋合いはなくなります。また長男の嫁のような相続人ではない介護者の場合は、介護寄与分を上乗せし遺贈するとした遺言書を書いておくことが必要になります。
相続における介護の不公平は生命保険でバランスをとるという考えが、収まりが良いように思いますが、遺言書も含めて介護される被相続人予定者が介護人に対して生前に指定しなくてはなりません。介護者にとってそれはそれで言い出しにくい話になりますが、介護の不公平を解消するには有効な手法だと思います。