遺言書優先の原則と遺産分割協議の矛盾について考えてみました。
遺言書には遺書とかエンディングノートと違い、民法に定められた法律行為として法的な強制力があります。
それは法定相続よりも遺言が優先されますから、遺言書優先の原則などと言われたりします。遺言書は優先と言っておきながら、相続人の合意があれば遺産分割協議が遺言書より優先される場合があります。
これは財産を自分の意思通りに譲りたい遺言者にとれば、明らかな矛盾です。
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◆ 「遺言相続>法定相続」は遺言優先の原則。
Wikipediaでは「私的所有権絶対の原則」という言い方ですが、個人の所有権は何よりも優先するという原則です。その考え方からすれば、個人の財産は私的に処分することは自由なはずです。
その考え方を死後の遺産にも適用し、死後においても自己の財産を自分の意志で処分する権限を法的に与えたものが遺言です。
法定相続というのは、遺言がない場合の補完的な制度と言うべきでしょう。
よって「遺言相続>法定相続」の不等号が示すように、遺言書が法定相続に優先します。
民法の理念は、封建時代の不公平を法的な平等に高めたという意味では、価値がありますが、私的な所有権という概念は人間的、即物的です。
人はもともと持たざる者、この世に生まれたときに自分の体も言わば借りものです。そういう意味では、死後にまで所有権が及ぶ遺言書は未練の塊の様にも思います。
ただ遺言書により争族が防げると言う意味では、後に残る相続人のための制度とも言うべきところです。いずれにしても被相続人となったからには、小遣いは三途の川の渡し賃だけあればよいのですから、この世の相続人に遺産の分割を指図することにさほどの意味があろうとも思えません。
◆ 遺言書と遺産分割協議の矛盾。
民法では「私的自治の原則」とややこしいことを言います。
要するに自己責任でやるなら、国家は個人の権利関係には関与しませんと言うことです。そういうことなら遺産分割協議で話がまとまれば「遺産分割協議>遺言書>法定相続」という関係が不等号でつながります。遺産分割協議が優先となり、遺言書が無視されています。
となればおかしなことですが、遺言者にとり一所懸命書いた遺言が少しも優先されていません。
一般的に遺産分割協議は、もめるような異論がなければ相続人全員の合意で成立します。相続人全員で合意しているならば、遺言がどうあろうと基本的に遺産分割協議は成立します。
逆に言えばもめそうな遺産分割のときに、遺言書はその威力を発揮するというわけです。相続人同士が合意できるのであれば、すでにこの世にいない、発言力のない被相続人の意思より、相続人全員の合意の方が強いと言うことになります。
とすれば遺産分割は、遺言者である被相続人の権利という考え方がありますが、どうなってしまうのでしょう。実は遺言より法定相続より、更には遺留分でさえ相続人全員が合意していれば民法は関与しませんよという立場です。
でも、実際の場面では多くの場合、それほど簡単に合意できないからこそ、遺言書が意味をもってきます。
保険法44条1項によれば生命保険の保険金受取人の変更も、遺言書で指定することが可能とされています。これも相続人間の合意があれば、意味をなさなくなることになります。
生命保険の保険金は受取人固有の財産ということになっていますから、それをおいそれと差し出す人は、やはりいないでしょう。やはり相続人の間で簡単に合意できるものではないのです。
◆ 補足
遺言書優先の原則と似て非なる原則は「後遺言優先の原則」です。誤解のないよう補足しますと、遺言は遺言者の最終意思を尊重するものですから、前の遺言と後の遺言が異なる内容の場合、後の遺言で前の遺言を撤回したものと判断されます。
これを「後遺言優先の原則」といいます。
◆ 民法の平等主義。
法律とはフェアーにできています。昔から不公平が世の常でしたが、民法はどこまでも平等主義です。その結果が、法定相続という仕組みだと言えます。
昔の話で恐縮ですが「たわけもの」という言葉があります。相続で田を分割するのは、愚か者と言う意味が語源にあります。農地としての田は、最大の財産価値があった時代の考え方です。社会の体制を維持するという観点では、公平すぎるのも問題があるということでしょうか。
この行き過ぎた平等主義が問題の原因になることがあります。しかし人の世も基本的には弱肉強食が根底にあり、民法の定めがないと強いもの勝ち、弱いものは泣き寝入りとなるのです。弱い立場のものでも法律が平等に守ってくれるというのは、法治主義のおかげだと言えるのではないでしょうか。
さて、遺言書か遺産分割協議かという点では、やはり遺言書が重きを得ないといけないように思うのは筆者だけでしょうか。
◆ 遺言書優先の原則と遺産分割協議の矛盾、まとめ。
遺言書は、被相続人のこの世における最後の意思です。それは可能なかぎり尊重すべきは当然です。
そもそも遺言書の目的は何だったのかといえば、自分亡き後、配偶者や子どもたち相続人の間でもめ事が起きないようにすることだったはずです。
とすれば相続人が全員合意の上で、遺言書と異なる分割を決めた場合には、すでに遺言書の目的は達成されているのではないかと思います。
しかしながら、実際はそうはいかないことは数多くの事例が証明しています。「泣く泣くもお金の前に鬼になり」相続とはそういうものです。
普通の人が、わずかな財産のために別人のように醜態をさらけ出して争うのです。遺言書の意味は争族を未然に防ぐことにこそ、その本質的な存在価値があると言えるのではないかと思います。
実際は相続人の誰かが遺言で有利になり、また不利にもなります。そうかといって遺産分割協議は、それほど簡単にまとまるものでもないのです。
相続人が多ければ、それだけいろんな境遇や性格の兄弟姉妹がいるとしたもので、それに配偶者も絡んで一筋縄ではいかないのです。
ゆえに結論的に申し上げたいことは、遺言書を手順に従い無効になる事がないよう作成することが、去りゆくものの責務であるということです。
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