経営者の運が会社の運命を決め、社員とその家族の運命を左右する。
人は生まれながらに、不平等に運命づけられています。「経営者なら、自分の運命は自分で切り拓け。」とはよく言われます。しかし運命は切り拓けるものではなく、定められたものであるがゆえに運命であります。
親の代から会社を経営していれば、後継者は経営者になることが、ある程度運命づけられていることになります。
人は意志さえあれば何でもできるはずだと思いがちですが、そういう思いは、人間の思い上がりでもあります。縁があれば経営者になることはありますが、そこから成功者になるには、また別の経営者としての運が必要なのです。
求めても得られないから運なのですが、強運などと言ったり運命を変えるなどと言ったりする言い方があります。
これは視点の違いから起こる勘違いのようなものです。天地の法則では、運命というものは定まった川を川筋に沿って流れるものです。決して低いところから高いところへは流れません。
■経営権移譲の難しさ、アドバイスと口出しの違いがわからない経営者。
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◆ 人には自分で選べない運がある。
経営者に限らず、人には親を選んで生まれてくることができないように、自分で選べない運があります。この世に生を受けたときから選択範囲は限られてくるのです。
外から見れば、なぜ狭い範囲で苦渋の選択をするのかわからないこともあります。それは、運で定まった範囲しか見えていないからなのです。選択肢は無限にあっても、運命づけられた範囲でしか道は見えないし、拓けないようになっています。
日本に生まれれば、アメリカに生まれることはできません。生まれたときの環境条件が、人の運命を決定づけます。たまたま貧農に生まれて、財を成す人がいたとしても、その人生ストーリーはやはり運命づけられているのです。
それなら努力する意味がないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
この世に生を受けるということは、それなりに意味あり、学びを重ねるための人生だと考えることができます。
運命のなかに身を置く身であれば、運命を左右することはできない相談です。それでも前を向いて努力をすれば、運命は拓けると思うように運命づけられているということになります。
禅問答のような話になり恐縮ですが、人間には本質的に理解できない運命です。
◆ 経営の成否は、努力でも才能でもなく経営者の運できまる。
人には自分で選べない運があるとすれば、経営者が成功するかどうかは経営者の才能でも努力でもなく、その経営者がもっている経営の運ということができると思います。
いくら艱難辛苦し、真面目に経営に取り組んでも、経営の運がないと成功することはありません。
反面、一つのアイデアが大きく花開き成功する運のよい経営者もいます。概して言えることは、規模は別にして会社を成す経営者は、どこかで何かの運が向いてきて、メンターに出会い成功するようにできています。
それはその経営者の運ですから、幹部社員全員が反対している新製品を強引に突き進んで販売しても、成功するときは成功します。全社員が期待する新製品を市場に投入しても、運がなければ、ヒットはしません。
成功するかどうかは、実は確率では測れません。それは運というものが、人類の英知でも検知したり測定したりできるようなものではないからなのです。
日経新聞の私の履歴書をお読みの方には、お分かりかと思います。成功者は運命のラインに乗って出会いがあり、メンターの支援があります。そしてその結果として、アイデアがヒットし道が開けるようになっています。
・経営者の運とおかげ。
経営の成否は、経営者の運で決まるのですが、その幸運には限りがあります。良し悪しを含めて起こることは、人生の最後には帳尻が合うようになっています。
神様のおかげという考えがありますが、おかげが必ずしも良いことだけを連れてくるとは限りません。良いことも悪いことも生起するすべてのことが、おかげであると考えれば、ストンと納得できるのではないかと思います。
◆ 経営者の運が会社の運であり、社員の運命を左右する。
そうなると経営者と仰ぐ社長の運が、会社の運命を左右します。当然、その会社の社員は運命共同体ですから経営者の運が、そこで働くものとその家族の運命を左右することになります。
経営運のある社長につけば、道が拓け出世できるかもしれません。そうでない社長につけば、リストラか経営破綻などという、最悪の運命が待ち受けることになります。
会社にお世話になるということは、どこかで縁があったのです。その縁はたまたま目についたハローワークの求人票かも知れませんし、インターネットの募集要項が、自分の希望に合っていたのかもしれません。
しかし、細いながらもよくよくたどると縁は必ずつながります。そのきっかけがなければ、自分は今ここにいないというようなことはもちろんです。考えてみれば、遠い昔のわずかな選択が出会いを生み、その結果目の前にいる孫が生まれたということでもあります。
そのわずかな選択がなければ、目の前のかわいい孫は存在しないか、あるいは別の人格になっているということも起こりえるのです。
運と言えども運だけではなく、必然的にすべての事象にからみついているという事実は歴然と存在します。
◆ 運は運であるが、運を運とせず生きるところが経営の本質。
では、何をしても、しなくても自分に選択肢がないのであれば、運は運任せだいうことになります。やる気も希望も失せてしまうのでしょうか。
一時はそういう気になることもあるかもしれませんが、それも運の一部だということです。運に翻弄されているように思えるのも無理からぬところです。
しかし天に任せた運に抵抗するすべなど、人間にはありません。運の理屈などはさらりと忘れ、生きていくためにもがきながら、運を切り拓こうとします。どこかで聞いたセリフですがシンプルに「これでいいのだ!!」こそが真理だと言えるかもしれません。
ましてや経営は、多くの社員と家族の生活を背負っています。経営者には、運任せにはできない責任があります。
運は運ですが、卑小な人間には運を制御することはできません。一人の人間とし運を運とせず、めいっぱい走り続けるところに経営の本質があるように思います。
■事業承継のまさかと後継者の力量不足が会社を揺るがすリスク。
◆ 経営者の運、まとめ。
経営者の運ということで、実感していることをまとめました。よく考えれば運や運命は経営者に限らず、万人に公平に作用します。
まさか何が公平なものかと思われるのは当然です。また運と運命は似ていますが、本質的な意味は異なります。
運とは、人の意思や努力ではどうしようもない物事の巡り合わせを指します。そして運命とは、人の意思や想いを越えて、人に幸不幸を含めた事象を与える力と定義できます。運も運命も、人の意志ではどうすることもできない巡り会わせや大きな流れを意味します。
そうなると非力な人間では、なすすべがなくなります。しかしこの世に生きていると、そこまで諦念することもないのです。私たちは大きな流れの中の一部ですから、全体を見ることも把握することもできません。ゆえに運命の一部として、自分で道を選択することを実感することもできるのです。
長々と経営者の運について記事をつないできました。いよいよネタ切れで、運が尽きたような気がします。
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