相続では譲るという選択肢が道を開くことがあます。
日常の生活では普通の人はお互い譲り合って生活しています。「済みません。」「ありがとう。「どうもどうも。」の簡単な声がけや軽い会釈などで相手に敵意がないことが確認できると譲り合いの気持ちが生まれます。
道を歩いていても、車を運転していても気持ちよく譲り合うことで争いは起こりません。ところが相続の場面ではなぜか譲り合うことはできません。
相続財産とは平たく言えば、姿かたちは違いますがお金です。いわゆる現ナマであり一万円札の束です。それも日頃では手にすることがない一財産ですから譲ることなどできない相談です。相続税がかからなくても同じことです。
◆ 争族、争続、相続
仲のよい家族、親族がいがみ合い仲違いし法事も葬式も墓参りも縁切り、果ては裁判で争うことになるのを、争族とか争続と言います。そこまで行かなくても家族関係がギクシャクすることは相続という特異な空間では普通に起こりえます。
昔の川柳に「泣く泣くもよい方をとる形見分け」というのがありますが、道は譲れても財産は譲れないのが相続なのです。相続税がかからない人ほど争族は熾烈になるというのは人の世の法則のようなものです。
田舎では土地の境目で争いが起こることがあります。田んぼのあぜ道には境目の目印として大きな石を埋め込んで、隣があぜ道を削るとわかるようにしてあります。今は畦畔ブロックで仕切られているところが多いと思います。なかにはこの境目の石を邪魔者とばかりにどけてしまってあぜを削り込む強欲な農民もいます。
これをわずかずつ何年も繰り返すとあぜ道が曲がりお米の取れ高に影響するだけでなく所有地の現況が変わってしまいます。削られる方は、あぜ道が細くなり潰れますから、自分の田の方から盛り土するしかありません。こういうとき夜も寝られないぐらい腹が立つのですが、田舎では町内で争うことはできませんから、表面はニコニコしながら末代まで恨むというような空恐ろしい話になります。
妙な事例で申し訳ないですが、相続の争いもこれと似たような醜さが潜んでいます。
◆ 被相続人の心理は揺れ動きます。
被相続人である親は子が複数いるとその配偶者や孫を含めて公平にしようとします。相続では公平こそ不公平というようなことがよくあります。
親の子に対する好き嫌いもあります。世話になった子、よくしてくれる息子の嫁、寄り付きもしない次男とその嫁、慕ってくれる孫、ところが息子の嫁には相続権がなく寄り付きもしない次男に相続権が同じだけあるのはおかしいと感じます。
子たちが争わないように遺言を書こうとしますが、誰に何を渡すかとなると一向に腹が決まりません。それでも遺言書にかかれない親心があります。孫の顔を見るとせっかく書いた遺言の割り振りが気になりだします。親の家族一人一人に対する気持ちは複雑なので割り切れるものではありません。
相続というのは、相続人だけでなく被相続人の心理も穏やかではないのです。
◆ 争いを最小限にできるのは生命保険。
相続財産でもらう立場の相続人にとりもっとも喜ばれ感謝されるのはキャッシュです。次に換金性の高い生命保険や株式などです。換金性の低い不動産などは資産価値が高くても目先のキャッシュほど感謝されないことがあります。
そういう意味では目の前のキャッシュは感謝されても生命保険の受取人指定は感謝されないようです。相続が発生するまではキャッシュにはならないからですね。
結局、最後はキャッシュ、財産の換金性は大事なことなのです。節税に走りすぎて換金性の低い財産に多くをシフトすると相続人が困ることになります。
また金の切れ目が縁の切れ目、身内も親子も皆同じということができます。贈与が過ぎると老後貧乏、という事例も事欠きません。節税もほどほどに。
◆ それでも譲る気持ちが道を開く。
相続は長い目で見ると違った答えが見えてきます。欲得をむき出しにすると目先の利益にこだわることになりますが、長い目で見ることが大事です。時には譲る心が膠着状態を打破することがあります。
たとえば兄弟で争うような場合、独身であれば弟が家屋敷を相続してもいずれ我が子が相続することになります。相続分割協議ではお互いが主張ばかりしていても決着することはありません。期限は10ヶ月と限られていますから、やむにやまれぬ譲歩ということもあるでしょう。
あと一歩の譲歩、その譲る気持ちを持つことが大事です。一歩譲ることでまとまる話があります。そうは言っても、わかっていても、譲れないのが相続ですが。
「譲る相続、その理由。」への4件のフィードバック